2006年5月8日(月)、谷汲での第74回 日本プロゴルフ選手権大会が幕を開けた。クラブハウス前には、ホスピタリティテントが設置され、白と緑を基調とした建物は、戦いが静かに近づいている事を教えてくれる。練習場には、フィッティングカーが契約プロの最終調整や、コンマ1ミリの誤差を埋めるため集結した。ロッカーでは、様々な天候に備え、専属キャディがクラブやエキップメントの準備に取りかかっていた。
実際、トーナメントウイークには南からの前線が近づいて来ていた。5月11日(木)、トーナメント初日、前日の雨の影響で、PGA本部は、ウェットコンディションを選択し、スタート前にプリファードライを宣告。スルーザグリーンにおいて、ボールをピックアップし泥を拭いた上で、ドロップする事が許された。初日に抜け出したのは、8アンダー64を出した尾崎直道。しかし思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
長年アメリカを拠点としていた尾崎直道は、プリファードライの処理をアメリカのルール解釈と勘違いし、不適切な処理を取り競技失格となってしまった。大会2日目、3日目も曇天の中、迎えた最終日は、昨日までが嘘のような晴天。朝からギャラリーがどんどん詰めかけ、最終日は約8,000人のギャラリーを数えた。
フィランソロフィー(慈善・愛)の意味を併せ持つこの大会は、還元の意味を込め、多くのプロがファンサービースとして、プレー後にこころよくギャラリーのサインに応じている姿が印象的であった。そして勝敗のゆくえは、大パノラマの鏡池を前にした最終18番ホールPAR 4(普段は9番ホールとして使用)にて繰り広げられ、大きなマウンドを配した自然のギャラリースタンドに、皆の視線が注がれた。
そして、プレーオフの末、多くのギャラリーの目の前で決着がついた。地元 近藤智弘プロ 悲願の初優勝、そしてメジャー初タイトル。クラブハウスに引き上げてきた、近藤プロのキャディから何度も出るガッツポーズ、そして近藤プロの安堵の表情は壮絶な戦いであったことを物語っている。
4日間72ホール、トータル11アンダーと言うスコアは、厳しさ故の結果であった。とりわけ、上がり3ホール(通常はOUT7.8.9番ホール)は、8番ホールの通称“嘆きの谷”(ティーからみた左側の谷)を含め、いまもなお、大会のままのロケーションにて時が流れており、その戦いの場を一度は経験することをおすすめします。
あなたが訪れることを、そしてこのティーグランドに立つことを、静かにコースは待っています。
ギャラリーが見守る中、白熱の戦いが繰り広げられた。
最終日は約8,000人のギャラリーを数えた。